ウイルスの種まき
直近三作について、いろいろお話してしまう。
「パンスペルミアのペンギンが見えるか」
最初の仮題は眼石病でした。
当初はアイズトゥアイズで同じ病の人間が出会い、引力で惹かれあうと傍で人が死ぬ話でした。がんせきって読めるなってところから発想が広がっていて、隕石のお話にしようと決めました。
そこからは日本に隕石が落ちた年を調べて行って……という風にノッていった感じです。途中までは人の死を予見する病の予定で、どこに行っても死が見えてしまう、神様からの最悪な善意のプレゼントみたいに描いていました。
二人きりで誰もいない土地に逃げたら今度は草木の死を予見して、どこもかしこも隕石が落ちてきて滅亡することに気づく……という話のつもりでした。でも、アドベントカレンダーは私を知らない人も見るので少し柔らかいテイストに差し替え、同じ世界系なら冬の寂しさをもう少し綺麗に澄んだ感じに描きたいなと変えていってああなりました。
どうせなら南極の日なので南極要素もいれたいなって。私は前にもCoCのシナリオで南極の話を作っているのですが、そこでも氷の下に人間の始祖が眠っていたりします。てけりり鳴くあいつです。一白界談にも出してしまったあいつです。
南極って干渉を受けない地域で観測が行われているのがいい。北極にペンギンはいない、というのも好きです。まあちょいと調べただけなので浅薄極まりない知識なのですが。 そうしてまた懲りずに理系への憧れを拗らせて宇宙の話を書いたわけです。
パンスペルミア説(宇宙播種説)——地球の生命の起源は宇宙より飛来した隕石にくっついていたウイルスであるという説です。地球で生命が自然発生した説への否定であり、どこかコウノトリ的です。ブラックボックス感のある説なんですがとても好きです。隕石にはアミノ酸がくっついてるんですけど、地球だと自然発生的にアミノ酸が生まれるのは難しいんですって。そして生命になりうるアミノ酸はL型というそうなんですけど、Lってペンギンみたいでかわいいですね。そんな発想で世界を滅亡する小説を書かないでほしいものなんですけど、神様ってそういうものだと思います。
アミノ酸からなんでスープになるんだって話なんですけど、アミノ酸って単語ってうまみ感が強いじゃないですか(?)うまいスープに満たされた地球が見たいです。大きいケーキで寝たいみたいな願望です。
どうでもいいけど年上の女性を呼び捨てにする男の子ってかわいいですよね。お互いの願いを叶えたくて神様にお願いするの、無邪気に新しい生命を生み出して生態系を変えるの、不気味で好きです。
神様は宇宙をいくつも運営、観測している神様です。カナメさんという、昔に作った四季と人間を愛玩する神様です。昔は自分の創った世界に降り立って聖職者としてマッチポンプ的にお告げをしたりしていたのですが、特に気に入っていた人間ばかり破滅に向かうので傍にいるのってよくないのかな? と気づいて外側に行きました。でもやっぱり人間が好きなので、それぞれのほしに自分とは関係ない神様を生み出したり、自分にそっくりだけど自分の自我とは関係のない複製体(天使)を放ったりしています。この地球ではそのアダムは多分死んでますね。
ほしの保証年数が過ぎると溶かしたり凍らせたりして、ラーメン屋秘伝のスープみたいに人間たちを継ぎ足し継ぎ足し、彼の方法で大事にしています。私は迷惑な神様が好きなのでね……。
無用な読者への混乱を招きたくないので、天子ちゃんはあまり動じない子なんですけど、動じなさが図太さではなく疲弊と摩耗によって生まれていたらいいなと思いました。よくはない。
疲れた社会人、水族館にいきましょう。
「恋とはどんなものかしら」
デスゲームが好きなんです。死を前にした状態を人間の本性だというつもりはありませんが、間違いなく人間の言動の一部ではあると思います。あと、デスゲームってトリックとか伏線とかあるし、好きです。観光バスの日で何か書けないかと思った時に、移動している閉鎖空間でのデスゲームいいなって思いました。冬でクリスマス前なので恋の話を二つ書きたいなとは思っていたので、パンスペルミアとは趣向の違うことをやりたかったんです。読む人も同じ作者の同じ恋愛話なんて連続で読んじゃいられないかもしれないので、恋愛デスゲームです。
恋って思ってすぐに恋とはどんなものかしらが出てきて、フィガロの結婚は喜劇なものですからこのデスゲームも喜劇でなければと思いました。女装要素もですね。これを書きだした頃にAI婚活とか出てきて思想の強そうな話になりそうで怖かったです。
とはいえそもそも私のお話って思想は強くあって、強い思想選択ゲームみたいなことになってるんですよね。これらの思想置いときますので、好きな思想を選んでね、という。選択、返答が人生のテーゼであると思っています。答えの出ない問に答えを出さずしてなにが人生か。
当初からまさかの運転手オチ、というのは決めてありました。運転手さんって、私たちにとってちょっと他人の雰囲気が乗客より強いでしょう。ガイドさんは乗客よりちょっと近いですし。なので、気取られないけれど出席はしています、というような伏線の張り方に悩みましたね。エミリたちなんか完全に精神の形が執筆になってゴーストライター状態で書いている時に出て来たので、誰だお前はって思いながら書いてました。
あと、恋って交通事故みたいにドーンと跳ね飛ばしてくるのでバスはちょうどよかったです(?)
このお話は以前作ったCoCのお話の前日譚的なものです。それを知らないでも気持ちよく読めるように書いてます。バスに乗って神話的冒涜的ゲームに行く話なので、繋がったぞと思った瞬間からは考えやすかったです。バスガイドさんはこの話の後に見事部署を変えてもらえますよ。よかったでますね。
“ある時は喜びだけど、ある時は苦しみ”になる、とは恋とはどんなものかしらの歌詞ですが。デスゲームだって恋だって切れ味を確かめるみたいに突然襲ってきて、試してくるんですね。そして“でも楽しいんです。こんな悩みが”と続く。なしくずし的に、選択肢なく選んだように思える最後の場面、けれど鈴原も最初に運転手さんという選択肢が浮かんだ時にこれしかない、と思えた。それは後付けだったとしても、あなたしかない相手を見つけた、そんな一瞬だったのだと思います。
恋とは、そんなものでしょう。
「穴を埋める女」
meeさんのお誕生日本の穴埋めページとして提出するつもりだったので、当初からダブルミーニングする気満々でした。結果的にどえらい長さで穴埋めというかほとんどのページを閉めました。馬鹿ですね。自分で掘った穴を自分で埋める人間が愛おしくて好きです。墓穴が好きですね私は。
これは普通に読むと、お話を書くすべての人への呪いなのですが、「meeさんのお誕生日に書いた話」「最後に署名がある」「マルヤはmeeさんにクリスマスプレゼントでオーナメントをもらったことがある」「マルヤはとにかく顔がいい男が好き」という鍵を使って開けると、どこかの未来で人生を消費しているマルヤからの手紙というお話になります。
そのマルヤはmeeさんと友達ではなくなってしまい、人を喜ばせたくて書いていたことなど忘れたように人を苦しめてお金を稼いでいます。そしてそれでも生きているということだけを知らせる手紙を出しています。助けて、とは言わないプライドだけを握りしめている私からの、忠告じみた報告の手紙です。
なんということでしょう。これは「お前が私と友達をやめると、あるいは私はこうなるぞ」という脅迫なのでした。最悪ですね。あとジョークでもなんでもなく、私は自分のためだけだと日常生活をこなせないので、IFというには近すぎるどこかの未来のお話で笑いごとじゃないんですね。こんな呪いを友人に課すのではない。怖いね。
でもこれを嬉しいです、と受け取ってくれる彼女なので、私は大手を振ってこういうのを書いて私らしくいられているんです。そういう気持ちも込めています。いまのところ、あなたがいるので私は面白い話を書いていられます。
と、だらだらと解説や執筆当時の苦悩などを書いてみました。たまにこういうことすると楽しいです。きっとしばらくしたらこの感情も忘れてしまうので、備忘録かもしれません。
お付き合いいただき、ありがとうございました。そもそもお話自体が全部長い話でしたしね。こんなところまでよくぞ読んでくださいました。
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