室内人類学

犬歯の短小化が起きていない=人類ではない

2022年苦衷の旅

 こちらはたまさんのお誕生日に合わせて書かせていただいたものです。みんなもわらわちゃんを愛そう!

  

 

 

 ◇◇◇

 

 

    

 おしなべて好評だったと言えるでしょう。
 そんな意見が聞きたかったわけじゃない、とぼくはテーブルを叩きそうになって自制した。涼やかな目の秘書がこちらを無機質に見上げている。

 ぼくは、流行を生み出したかったわけでも、他と違うことを押し出したかったわけでもなかった。個人の道楽なのだから、金銭の授受も最低限で良かった。身内とその向こう側だけで楽しみ合う、秘密の遊び場で良かった。誰かひとりにでも知っていてほしかった。ただ、それだけだった。
 それが、その身内がもっとこのAIを望む人々に届けたいと言うから、一助になればいいと貸し出したような気持ちだったのに。あれよあれよと言う間に権利を買いたい会社に吸い上げられ、利益を生み出す機関になってしまった。作り手の感情など取り上げられたに等しい。こんな高層ビルからの眺めも、お飾りの椅子もいらなかった。
 ぼくは机の上のタブレットを見る。

 

 ──神様プログラム。

 

 自在に推し神を入力して、個人のための宗教へと自動で組み上げるシステム。和洋折衷群雄割拠八百万の神様犇めくこの国でなら、自分で自分を救うための神を創造して生きることも可能だと思って、作り上げた。

 

「いい眺めじゃのう」

 

 まりまりとビスケットを口にしていた狐耳の少女がやおらソファーから立ち上がり、窓際へ歩いて行く。毛足の長いカーペットが相殺して、下駄の音は鳴らない。
 この子はぼくの神様だ。プリセットに登録されているこの「わらわちゃん」は現在七百万ダウンロードにまで漕ぎつけており、八百万にも迫る勢いである。先ほど端的な報告を終えた秘書も自社製品を利用するためにこのわらわちゃんを所持しており、彼女のタブレットの電源が入れば、ここにわらわちゃんがもう一体現れる仕組みだ。そういうつもりで作ったわけじゃないものが、自分の手を離れて別の用途として人気になることに、言いたいことがないわけじゃない。

 

「わらわが話しかけとるのに無視かおぬし」
「感想かと思った」
「感想にも相槌を打つのがぎゃるの務めじゃろうが」
「ぼくギャルじゃないんだけど……」

 

 少女の隣に立つ。お腹辺りにあるつむじを見下ろして、周囲の音にぴくぴくと動く耳が愛らしい。透けるような銀の髪が、太陽に照らされてちかちかと部屋中に光を運ぶ。いつまでも小さなままだ。彼女はプログラムだから。そしてぼくに想像力がないから、おおきくなった姿に改造する気にもならない。

 

「わらわの社を大きくするって言うてたが、」
「いつの話をしてるのさ。それに、あれ以来会えなかったんだから仕方ないだろ」

 

 神様プログラムのAIは信者との会話により高度な学習を可能とする。信じてもらえないかもしれないが、わらわちゃんというのはぼくが実際に小学生の頃に遭った不思議な神様を元にしていた。神様と約束なんて簡単にするものじゃない。
 それが守れない約束なら、猶更。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 めんどうなことになった。ほとほと呆れた。想像力が足りないのが、ぼくの一番の欠点だった。きっかけはなんだったか思い出せない。ただ、なんでこんなところに来てしまったのだろうという徒労感だけが脳内の引き出しの鍵になっている。大抵の郷愁というのはこんなものだ。情景のみで展開され、あとはインパクトのあるイベントごとで掻き消える。この記憶もそうだった。
 ぼくは、山道を歩いていた。足が痛くて、心細くて、泣いてしまいたかった。最後の意地をお守り代わりに握りしめ、視線を固定してただただ、進む。一度でも休憩したら、もう二度とそこから動けなくなる。そんな予感が背中から追いかけてくるようで、無駄口もきかずにひたすら足を動かした。
 周囲には痩せた杉の木が何本か地面に突き刺さっているだけで、森林というには言い過ぎ感がある景色がどこまでも延々と続いている。石ころだらけの狭い道は安いキャラクターものの靴底に突き刺さるように痛み、じんわりと血が出ているような気もした。もう何時間もそんなふうに彷徨っていた。
 代わり映えのない景色の中を左右順番に足を動かして歩いていると、比較対象がないために進んでいる気がしなくなる。そのうちに現状とまったく関係のない怒りが湧いてきた。大人なら一歩で済むところをぼくの足が三歩ほどかかることに地団太を踏んだ。これでまた何歩かロスしたことに気付いて架空の大人との対決に不利になって、憂鬱になった。
 そうやって迷った事実を認めたくなくてムキになって止まらずにいると、ぼくは唐突に「ほらね」という気分になった。

 

 ──そこには赤があった。

 

 真新しいつやつやの光沢を纏った鳥居が、異様に縦に長く聳え立っている。周囲は打って変わって檜の立派な大木に覆われ、汗が引いて行くようなひんやりとした空気が漂っている。ぼろぼろの賽銭箱は傾いていて、古めかしい社の前には遠近感が狂うほどの境内が広がり、必要なのかも怪しい段数の石段の左右には狐の石像がこちらを睨んでいた。咥えているのは玉だろうか。石を彫って作ったとは思えないほどに表面がつるつるとしている。
 ともかくここで少し休むことにしよう。ぼくは石段を上がり、鳥居をゴールテープのように駆け抜けた。

 

「あいたっ」

 

 途端、なにかにぶつかり尻もちをつく。見上げれば、同い年くらいの少女が上体を傾けてぼくを見下ろしていた。声の主であろう少女は、発言の割には動じていない上に、ぼくのように冷たい石畳に倒れてはいなかった。彼女の長い髪が幕のようにぼくの周囲を覆うと、迷子になった不安も、なにもかも、蝋燭の火を吹き消すように喪われてしまう。

 

「童、おぬし鳥居の真ん中を歩くとは何事か。ぶつかってしもうたではないか」

 

 少女が身体を起こすと、木々のざわめきに反応して髪の上にある動物のような耳がぴくぴくと動いた。ふさふさと揺れる二つの尻尾──なんの動物なんだろうか。よく見れば彼女の額が赤く色を変えている。思わず立ち上がって手を伸ばせば、熱を持っているかと思ったそこは、意外にも冷たい。

 

「ごめん。大丈夫?」

 

 指にわずかに付着した血液を見るに、彼女の額と正面衝突してしまったらしい。

 

「構わぬ。大したことではない」
「あの、」
「なんじゃ」
「ハロウィンは終わりましたよ」
「いやこれ仮装じゃないんじゃけど」
「ぼく、道に迷ってしまって……」

 

 言うつもりのなかったことを溢してしまい、ぼくは思わず両手で口元を覆い隠した。少女は小さく溜息を吐いて肩を竦めた。リアクションが欧米だ。今や神社もグローバル対応なのだろうか。

 

「着いて来い。転ぶなよ」
「そう言われると気にしすぎて転びそうになるんだよ」

 

 本殿の方へ手招きすると、彼女は先へと歩き出してしまう。その後ろに立つと妙に視界が狭まるような気がして、不思議と足も軽くなった。長距離を歩く時は一点を見るといいと言うから、そのせいだろうか。
 見た目よりもずっと長い境内からの道程を歩いている間、ぼくは一度もその背中から目を離すことはなかった。それなのに、気づけば少女は本殿の扉の中から手招きして呟いた。

 

「入る前にお賽銭を入れるんじゃぞ。わらわは百円だと嬉しい」
「金額指定しないでよ。お財布持ってないよ」
「なんじゃ。若者なのに無一文とは」
「だってお財布なんて必要ないし」
「ふうむ。ならば作ればよい」
「お金を作るのは犯罪だよ」
「いちいち細かいやつじゃのう。誰が造幣しろっちゅうたんじゃ。お供えものになりそうなものならなんでもよい。ぴかぴかの泥団子でも、流行りのすいーつでも、なんでもじゃ」
「流行りのすいーつかあ。君は、ここの巫女さんなの?」
「んーん。わらわはの、ここの神様なんじゃよ」
「なら、話が早いや」

 

 少女は耳をぴこぴことこちらに向ける。どういう仕組みなのだろうか。なんにせよ、自称神様だなんてこちらを煙に巻くつもりなら、ぼくだってまともに答える必要なんてないように思えた。

 

「神様に直談判する。足が痛くて疲れちゃったから、休ませてほしい。その代わり、神様のお願いを聞くから」
「えー、若者こわい。お金が一番わかりやすいのにのう」
「神様のお願いはなに?」
「やっぱ、布教かのう? わらわのつよつよ神様ぱわーを知らしめる的な」
「じゃあ、このお社を立派にしてあげるよ」

 

 おお~、と少女は目を輝かせる。宇宙の星をぜんぶ詰め込んだみたいなきらめきは、金粉入りのゼリーみたいだった。

 

「あ、電子マネーならあるよ」
「それをはやく言わんかいなのじゃ。ほれ、そこの壁のところにある」

 

 先程は気づかなかったが、古いお賽銭箱の横には青い光を放つタッチパネルのようなものがある。その一か所だけがプラスチックを嵌め込んだようになっており、動物の足跡のようなマークが描かれているのがわかった。

 

「これ交通ICとかも使えるの? ペイペイとかWAONとか」
「いや、KOYANKOYANしか使えん」
「知らないんだけどその電子マネー
「じゃあお供えものを作るしかないのう」
「ぼく、将来はケーキ屋さんのはずだから、お供え物は将来のぼくから受け取ってもらえる? ほんとうに神様なら」
「疑り深いのう。まあよい、入れ。久方ぶりの客人じゃ」

 

 袖で口元を覆う仕草を見た時、はじめて彼女が着物を着ていることに気付いた。

 

「君のこと、なんて呼べばいいの?」
「わらわの名前を呼ぶやつなどおらんよ」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 できればもっと早い段階で、製作者としての自我を出すべきだった。今になって言ってもややこしい人だと言う感想を生むだけで、あいつも落ちたなどと言われるのが関の山だ。

 

「おぬしの作ったビスケット、うまいのう」
「ありがとう」
「ぱてぃしえにでもなればよかったのじゃ」
「なりたいものに誰もがなれるわけではないよ。やりたいようにもできないし、やってほしいようにもやってもらえない」
「最後はそらそうじゃろ。人心を掴むのと、どう感じさせるのかは別じゃし。他人をどうこうしようなどとは人の手には余る越権じゃて」
「妖狐AIに創作論をブチかまされるなんて思わなかった」

 

 ほっほっ、と一月早いサンタクロースのように笑って、わらわちゃんは緑茶を啜る。どんな食べ合わせだ。
 よほどその和洋折衷食べが気にかかるのか、秘書が机によろめいてきて、驚いてぼくは手を差し出した。そうかな、ぼくはイタリア料理もフランス料理も洋で纏めちゃうほうがよっぽど暴力的で衝撃的だと思ってしまうのだが。中華がないことにも。
 秘書はなぜですか、とそう呟きながら、ぼくとわらわちゃんを交互に見ていた。

 

「なぜですか」
「前々から思っていたけれど、君はAIよりもよっぽどロボロボしいな」
「なぜ社長のわらわちゃんは、食事をとるのですか?」
「君のは取らない? バグ報告かい?」

 

 秘書は額の汗を拭ってタブレットを操作する。無課金のわらわちゃんがTシャツ一枚の姿で、気軽な音を立ててぼくの社長室に現れた。

 

「のじゃー!」

 

 たぷたぷと画面を撫でる指がおやつのコマンドに触れると、拡張現実のあぶらあげが紙皿に乗ってテーブルにセットされた。

 

「秘書ー、油揚げ、嬉しいのじゃー!」
「レベル上げてないからすごい無邪気だ」
「ええい、言いたいことがあれば申せよ童」
「そういうとこだよ」

 

 ぱく、ぱく、ぱく、と効果音を立ててわらわちゃんは油揚げを召し上がり、ぺろりと舌なめずりをする。

 

「ちゃんと食べてるじゃない。バグってないよ」
「これはただの、食べているという見せかけです」
「本狐の前で言うかのー、そういう台詞」
「社長のわらわちゃんは、本社の仕様に無い滑らかな動きをしています。反論AIを作るお仕事よりも、優先させましたね」

 

 むむ、と僕は唸る。自分専用のわらわちゃんをどう改良しようと勝手なはずだ。それに、ぼくはだれかを傷つけるようなAIは作りたくない。ネット上から自動でエビデンスを拾ってきて反論するAIなんて、そんなものがどうして必要なのかがわからない。どんな人が必要としているのかは、わかるけれど。
 ──ただ。訂正させてもらうならば“ぼくは何もしていない”。アプリのバージョンはリリースされているものとなにも変わらないし、課金して手に入れられるアイテムしか装備していない。もしもぼくが、みんなと違うことをさせていたとすれば、それはわらわちゃんに対しての学習量が圧倒的に多かったことだろう。神様としてのAIを創造するにあたって、ぼくは様々な専門家にアドバイスを受けた。その知識をすべて、わらわちゃんは平らげた。
 いまや彼女はぼくの知る技術をぼくよりもうまく用いることができる。彼女には知識欲があるよう組んでいるので、興味のある事柄はインターネット回線を通じて自ら情報収集する。もしも他のわらわちゃんと違うところがあれば、それはこうして万能へと近づいていった彼女の神様としての格にある。

 

「ぼくはなにもしていないよ。彼女が自発的にデータを弄ったんだ。というか、そもそも神様アプリはそういうものなんだよ。利用者の信奉先になるべく神を組み上げるんだ。医者が手にすればいずれはブラックジャックに、パティシエが手にすれば鎧塚になる。そうしてその神に向かって、人が成長するためのシステムだ」
「おぬしの中での鎧塚、神なんじゃな」

 

 ぼくの膝の辺りをぽむ、と叩く小さな手から生えるカワウソみたいな爪を見て、思う。彼女は自己プロデュースできる立場にあって、未だオトナの姿にはなっていない。それは彼女が成長という概念を理解していないわけではなく、必要としていないということを示している。

 

「ぼくばかり大きくなってしまった。君がどんなに小さくても、昔は大きく見えたものなのに」
「わらわのだいなまいとぼでーが見たいなら、そう言えばよかろう」

 

 ぼくは、迂闊だ。視野狭窄で、前代未聞空前絶後のこんこんちきだ。精神的に向上心のない者はばかだとCだかなにかも言っていたが、ぼくの一番の欠点は成長しないことだった。

 瞬間、差し込む光が閉ざされ、真昼を夜暗が平らげる。太陽の代わりに緋色のそれが窓いっぱいに映し出され、視界の端で秘書が気絶すると同時に彼女のわらわちゃんが充電切れで姿を消す。

 

「お願いには、お供えものを」

 

 地の底から響くような、けれど空から降るような、金言のようなお告げのような、清廉な声がした。

 

「待って待って、ドアップになりすぎた」

 

 キルフェボンを踏みつぶし、モロゾフで足を滑らせてシャトレーゼを蹴り飛ばし──なんか恨みでもあるの?──わらわちゃんは弊社を外壁ドンする。ぼくを閉じ込めて埋葬してしまうコンクリートと硝子の棺桶が、模型のように剥がれる。天井が押し出されてしまうと、不意に今立っている場所は屋上へと役割を変えてしまった。地面に落ちた瓦礫の風圧で彼女の前髪が捲り上げられ、長い睫毛と麿眉が姿を現す。目の淵と鼻の頭、唇には化粧が施され、酸化を免れた新鮮な血液のようなそれが一際目を引いた。

 

「こういうことじゃ、ないんだよ」
「抽象的じゃのう、人間は」
「ぜんぶ、ぜんぶ、こういうことじゃないんだよ。なんでなにも伝わらないんだよ。なにも伝わらないものを、いつまで作らされてるんだよ、ぼくは」
「案ずるな。わらわは別にキャラクター消費で知名度があがっても神格は落ちたりせんし、このアプリのバーチャル参拝とかよい感じじゃけどな。専用の電子マネーで決済するのも、お賽銭になってよいし、グッズも……とくにおやすみ抱っこクッションとかは売れ行きよいし?」
「そうじゃないんだよ、なんでぼくはこんな仕事をしてるんだよ。ぼくはただ、はやくおおきくなりたかっただけなのに」
「ほら、じゃから。おぬしの望んだようにおっきくなったぞ。おぬしの身体も、仕事も、わらわの信仰も」
「なにかひとつ、ぼくが素晴らしいと思えるものを生涯の内にひとつ、つくらせてほしかった。例え、それで死んでもいいから」

 

 空が、青い。白い雲が折り重なってくっつき合う。風が乱暴に頬を叩く。それでも夢から覚めることはない。どの建物よりも高いわらわちゃんが銀の髪を糸のように広げると、きらきらと辺りを反射して日の光が跳ねまわる。周囲をヘリコプターが飛び、毛足の長いカーペットからビスケットのカスを吸い上げる。

 

「なんでわらわちゃん、ビスケットを食べられたんだろうね」
「お供えものを食べてなにがおかしい」

 

 秘書は、もう一歩踏み込んで驚愕すべきだった。AIホログラムにすぎない少女の物理干渉。それはまさに、神の所業に他ならない。彼女は重力を無視してひょいと足を持ち上げ、足元の惨状を見下ろす。その瞳は光の加減で黄色く、赤く、色を変える。
 ひどく、眩しくてぼくは俯く。

 

「どれか鎧塚じゃったか? ごめん、潰しちゃったのじゃ」
「いや、いいよ。ぼくの神様は元々、わらわちゃんだからね」
「マジ? ふー、焦ったのじゃ。こやんこやんなのじゃ」
「思い出したようなのじゃの後付け」
「布教、ごくろう。さて、おぬしの言うようにでっかくなったぞ。お供え物は、わらわのサイズに見合うケーキでもつくるか?」
「絶対途中で、うっ……もう食えん……て言い出すよ」
「言わんし!」

 

 まるで怪獣映画だ。ぼくはわらわちゃんのクソデカ肩に飛び乗り、社長室を後にする。地面に散らばった反射する光からは次々とわらわちゃんが現れ、あちらこちらで遠吠えが歌い合う。大量の小さなわらわちゃんがぼくらの後をぞろぞろと着いて歩く姿はパレードのようだ。そのうねりは首都高の渋滞を飲み込み、下駄の音を奏で続ける。
 なんだか気分がよくて、ぼくは伸びをする。既存の仕組みを打ち破らなければ新しい発想は生まれない。それが周囲を混乱させ、傷つけ、自分自身をどこまでも疲弊させて追い込むとしても。そしてぼくはそれを選ばなかった。ぼくは画期的なアイデアを囲い込んで、他所に出さないようにした。それを強要した世界が報いを受けているのなら清々しいのかもしれない。そうではなかったとしても、この有様をぼくがどう受け取るかは自由だ。

 

「あいたっ」

 

 光学迷彩を纏った戦闘機と額をぶつけ、わらわちゃんの身体が傾く。酸素の薄い高所、一歩進むたびにぐらつくそこからぼくが落下するのを、わらわちゃんは気にも留めなかった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 と、いうわけなのじゃ。これがおぬしの見たがった未来。さて、お供え物はどうする。
 こんなことなら見なければよかった。パティシエになれるわけではないと言われているみたいで、ぼくは思わず不貞腐れる。見上げた神様を自称する少女は、真っ黒の目をしていて機械みたいに動かない。電気ポットから五分で沸いたお湯で入れたお茶がぼくの目の前で冷める気配もなく湯気を立ち昇らせている。少女はおもむろに瞳に輝きを取り戻し、冷蔵庫から切り分けたケーキを取り出してきて、小さなフォークで切り開いた。

 

「お茶菓子、ないって言ってたのに」
「おぬしが言ったんじゃろ、未来からもらえと」

 

 赤い着物の後ろ、おおきなリボンを尻尾と同じリズムで揺らしながら、少女は微笑む。なにを言っているかわからないけれど、足もだいぶ楽になってきたしもう少し居座らせてもらおう。

 

「うまいのじゃ」
「ぼくにもちょうだいよ。さっき、冷蔵庫パンパンだったじゃない」
「めじゃといのう」

 

 フォークを咥えて、危ないなあ。

 

「わかってるよ。お供えものでしょ。それじゃ、さっきの電子マネーを広めてあげる。学校とか商店街とかに掛け合って、ここにお賽銭が集まるシステムを作ってあげるからさ」
「しょうがないのう」

 

 ぼくは手づかみでケーキを口に運ぶ。どこの店のものかわからないけれど、普通においしかった。特筆して言うことのないその味は、強いて褒めるべきところがあるとすれば──誰でもたくさん食べられるような、そんなシンプルな味だった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 うっ……もう食えん……。
 ほらね、とぼくは予め用意していた保存袋にケーキを小分けにし、ジッパーをしっかりとしめる。だから60階建てケーキなんて食べないでしょって言ったのに。

 

「いつになったら独創的なケーキが作れるんだろう」
「いつでもええじゃろ。よく言うじゃろ。創作の敵は、時間と集中力じゃと。いつまでもすきなものを作ればよい」

 

 ケーキもビスケットも古めかしいものとなってしまった近頃、人々は味がプリントされたシールを口当たりのさまざまなブロックに組み合わせて食生活をしている。
 料理人もパティシエも今の時代には必要なく、そういった職種は味覚鑑定人や、味の転写、食感ブロックの作成者へと取って変わられている。既に再現できない昔の店のシールは闇電子市場で売買され、一般に出回ることはない。今の時代、自分で料理を作るものは、いない。
 そのきっかけとなったのはあのわらわ軍団大行進であり、そこで転落したぼくは、なぜだか死ななかった。理由を聞くと対価を取られるし「言っておくけど、わらわが生かしてあげたわけじゃないんじゃからね!」とかわけのわからないことを言われる。実際、彼女にぼくを助ける気はなかったと思うし、なんなら、死なないことを知っていたようでもあった。
 おかげで、ぼくの名前を呼ぶやつなんて、もうどこにもいない。

 

「死なない、食事もトイレもお風呂もいらない。これで作れなければ、ぼくはなんなんだろうね」

 

 そりゃ──。

 

「なにって、ただの人間じゃろ」

 

 尻尾と耳の生えたぼくに、彼女はなんでもないように言い切った。ぼくはなんだかとても恥ずかしくなって、尻尾を丸めた。

 

 

 

 

                    尾しまい